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10月 31日 2016

性病の世界史 - ビルギット・アダム 著 / 瀬野文教 訳

 数ヶ月前、書店の平積みになっていたところを偶然に見かけて購入したが、当時に冒頭を読んだのみで、最近まで積ん読してしまっていた。ようやく勢いを出して読み終えた。

 中世ヨーロッパから近代まで猛威をふるっていた梅毒に大きく筆を割いた本書は出版当時30代のドイツ女性作家の手によるもので、近代になりようやく薬が開発されるようになった経緯までを精緻に綴る。だがそこで終わりにするのではなく、終盤では80年代から世界中で大きな社会問題となっているHIVウィルスにも言及。病気の蔓延の陰にあるもの、物事の裏側にある意識は、場所や時代が変わってもつねに変わらないことを簡素な文体であぶり出していく。



 その意識とは、まず、世の中に病気が蔓延することへの当事者意識を持たないこと。病気になった人は自業自得(1)。そして最後に、多少の不道徳があっても予防(コンドーム)や薬などで病気を回避したいという、安易な発想である。

 書き手が女性といっても過度に男社会を糾弾するといった方面には流れず、淡々と経緯を書く文章が読みやすい。

 最後に、この訳書のタイトルだが…世界史ではない。ドイツを中心としたヨーロッパの話であり、最後のほうでエイズの話題にのみアフリカやタイなどが(わずかに)登場する。原題の Die Strafe Der Venus を日本語で紹介するなら「ビーナス(性愛)の罰」である。

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(1) たとえば、過去も現在も娼婦や性風俗に従事する人は相手を選べないことが大半だが、男性の側だけが消毒や避妊具をつければ大丈夫だろうという(娼婦や性風俗に従事する人は「媒介」をしてしまうことはあっても原因とは限らず、買う側も同じだけの原因および媒介要因でありうるのだが)考え方があり、感染して罰せられるのは受け身(娼婦)側だった。また、女性が不貞を働かずにいれば「男性には病気をうつさない」という妙な理屈により、女性側には予防策として不道徳を戒める教育を徹底し、男性側には好き勝手をさせた。

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mikimarulogも、よろしくお願いします。

09月 20日 2016

アンデルセン物語 食卓に志を運ぶ「パン屋」の誇り - 一志治夫

 紙のメディアは、やはりいいと思うことがある。この本を何気なく購入したのが2年前の10月。それ以来ずっと部屋に積んでいて、表紙もずっと見ていたが、「そういえば読んでいなかったような」と、ページをめくりはじめたところ、1時間半で読み終えてしまった。わくわくする体験だった。



 広島アンデルセン創業者夫婦の数十年にわたる物語であり、終戦間近に外地から日本国内に初めて足を踏み入れた少女(妻の彬子氏)と、外地での終戦で情報将校として追及されたところを患ったなどの理由により運よく帰国ができた青年(夫の俊介氏)が広島で出会い結婚、戦後の食糧難に代用食の団子を売って日々をどうにか生きた時代の話からはじまる。
 身を粉にして働いた日々、そして、立派な自社店舗もなかったが取り扱いの代理店になってくれと近辺の店に頼みこんで知名度を上げていったこと。評判が立ってくると次のことを考え、つねに現状に甘んじなかった。売れるであろう商品ではなく将来ずっと売っていきたい商品を考えつづけた60年代以降の過渡期、そして東京オリンピックから数年後の青山への出店。

 青山一丁目の駅近くに、青山アンデルセンはある。わたしは本書を読むまで、あまり青山と広島に関連性を見いだしていなかった。だが、文中に引用されている青山に長く暮らした作家でありシャンソン歌手戸川昌子さんのエッセイにより、ふと、気づいた。
 広島アンデルセンが最初に立派な本店を構えたのは被災した洋風建築「帝国銀行広島支店」であり本書中に写真が紹介されているが、終戦時の周辺はがれきだらけで、かろうじて建っているのはそれのみだと言える惨状。そして青山もまた、多くの東京人がまったく知らずに歩いているだろうが、大通りの両端に死体がうずたかく積まれたほど激しい戦火に耐えた土地なのだ。東京オリンピックののちとはいえ、青山の中でも人通りが少ない場所が現在の青山アンデルセンの場所だったという。現在は一等地だ。周辺も何もかも開発され、多くの人が歩く。きらびやかでハイソなその都会の雰囲気には、一度は徹底的に壊れた、そこから這い上がったという、広島に通じるものがあるのではないかと思う。
 もっとも、日本の都市部の多くがそうした「徹底的に壊れた」経験を持つものであり、一概に比較されるべきものではないかもしれない。だがわたしは、青山アンデルセンのあの立地に、今後はもう少し深い思いをいだくことになるかもしれないと、漠然と思う。

 2000名以上の社員や、さらに多くのパート従業員などを含む大会社と成長したアンデルセンは、2000年代に俊介氏が死去ののちは持ち株会社に移行となって分割された。
 家族のように、身内のように社員を教育し、会社の理念の共有を図ってきた彬子氏にしてみれば、分社化で理念が揺らぐことや、各店の雰囲気がおかしくならないかと心配に思うこともおありかと思うが、パン文化やパン業界への情報発信を、これからもぜひ、精力的にこなしていただけたらありがたいと思う。

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08月 16日 2016

姉・米原万里 思い出は食欲と共に - 井上ユリ

Author: mikimarche Category: 5. エッセイ

 米原万里さんのエッセイは何冊も読んだ。名作「旅行者の朝食」や、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、なかでもよく覚えている。そして語学や通訳という仕事にもあこがれていたわたしは、作家として名をはせる以前の米原氏が通訳として寄稿していた雑誌類などでも、文章を拝見していたと思う。

 亡くなってしまったことが、惜しまれてならない。もっともっと多くのことを見て、食べて、それらを文章にしていただきたかった。



 本書はチェコでの幼少期をともに過ごし、同じことを経験し、帰国後に同じような悩みを乗り越えたいわば精神的な「同志」である妹「井上ユリ」氏の手による、姉と自分、そして家族の話だ。没後もなお変わらずに姉を慕う多くのファンたちへの思いがあふれている。

 著者のユリ氏によれば、知らない土地や初めて接する文化にも好奇心で果敢に突きすすんでいく印象をいだかれがちな姉であったが、実は慣れていないものには臆病で、慎重で、時間をかけて歩んでいくタイプだったらしい。ことに食通として知られる万里氏の印象からは遠かったが、初めての食べ物には慎重だったという。

 幼いころに借家で便器(くみ取り式)の中に3回も落ちては親たちが全身をきれいに洗った話では、おそらく好奇心で便器の中を覗いているうちに落ちたのだろうがなぜ一度で懲りなかったのだろうかと、実妹の軽快な筆遣いには遠慮がない。また食いしん坊の自分をうまくいいくるめてわずかなおやつと引き換えにその週の小遣いを巻き上げた姉の話、いかに姉が自分のエッセイで話を脚色しているか、あるいは記憶違いをしているかなど、ファンには新鮮な暴露話も綴られている。

 晩年と呼ぶには若すぎたが、万里氏が亡くなる以前の数年間に鎌倉でお住まいだった通称「ペレストロイカ御殿」は、どれほど素晴らしかったことだろう。通訳の仕事が急に増えて、英語ほど幅広い通訳人材が望めないロシア語の分野では、万里氏の売れっ子ぶりは類がなく、数年間で鎌倉に家を持つまでの蓄えが溜まったとは、本書にも記載されている。

 本が好きで、書くことが好きで、作家になる夢をいだいてそれを実現させた万里氏が、自分の力で若くして得た家。どれほど思い入れがあり、素晴らしい家であっただろうかと、出かけたこともないその地に、思いをはせている。

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07月 17日 2016

レシピの書き方 - レシピ校正者の会

 書き方の本というのは、視点はよいと思う。昨今では多くの人が、料理の本や個人のブログ記事などを見くらべて「これは読みやすい」、「これはわからない」というものの違いを漠然と感じていて、だからこそよりランクの高いレシピを目指そうという人も出てくるはずだ。そういう立場の人には、とても役に立つ…とは思う。



 ただ、それだけだと、おそらく10ページもあれば用が足りてしまう。つまり
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○ 書き方のパターン
たとえば、わたしが思いつくものとして
A 材料と分量を一覧のように重視し、下ごしらえなど簡単な手順は添え書きにしてから、本文でじっくり説明するのか
B 材料と分量を一覧にして、文章で料理を説明し、コツのようなものを欄外などに書き添えるか
C 材料を一覧にしたら、画像をふんだんに使用して言葉を減らし、目で見てわかるようにするか

○ 文体、用語は統一
D ですます調なのかどうか
E 食材はカタカナで書くのか、ページによってカタカナだったり漢字だったりしていないか
F 分量の目安や単位(重さ、計量スプーン、計量カップ、ccとmlなど)が混じっていないか
G 表現には固有名詞を避ける(サランラップではなく食品ラップ、など)

○ 読みやすいか
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 これ以外は、書き手の文章センスに大きく左右され、読む側がどういう立場や年齢の人であるかを想定できるならばその相手に読みやすい配慮をするだけの勘の良さがあれば、問題はない。

 これらをただ列挙すれば数ページ、例をあげながらでも10ページ〜20ページもあれば、このテーマの本は終わってしまう。そのためか、本書では、本来ならばレシピを書く立場の人が知っているべき内容(食材やその部位、調理器具の適切な名称、調理用語、食材ひとつに該当する標準的な重さなど)を、細かく解説している。手取り足取りである。

 視点としてはとても重要な本ではあるが、「レシピを書く」ことにおける注意点以外は、料理本を数多く読んだり、実際に料理をしながら身につけていくべき内容であることは否めない。つまり、どれほど本書が読みやすくはあっても、本書によって料理に慣れていない人が読んでレシピを書けるようになるわけではなく、すでに書ける人が念のために読むための本が、これである。

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04月 29日 2016

明治洋食事始め とんかつの誕生 - 岡田哲

 江戸時代以前から日本人が広く食べていた肉は、よく知られるウサギのほかは、イノシシとシカだったようだ。よく「四つ足のものは食べなかった」と言われるが、それはおもに牛と馬を指すものであった。なぜそのふたつがとくに禁忌であったかといえば、農耕で働かせていた家畜を殺して食肉にすることの不条理、さらにもとをただせば、かつて天武天皇が殺生禁断令を出した際に牛と馬が含まれていたことが影響しているのだろう。

 むろんそうした建前と人々の本音や好奇心は別であり、心の底からタブー視していた人ばかりでもない。禁止はあくまで役立つ生き物を「殺してまで」食べることはおかしいためと解釈し、働けなくなった牛馬をこっそりと食肉に回すことは、明治維新の以前より慣習となっていて、「薬食い」という呼び名がついていたそうだ。




 明治維新ののち、天皇みずから獣肉を食した。人々は少しずつ牛肉に関心をいだくようになったが、中には「一度でも獣肉を煮た鍋は捨てる」、「どうしても獣肉を室内で食べるのなら仏壇に目張りをする」といった人もいて、自分のものではなく隣家で借りた鍋で獣肉を煮た(それがばれて喧嘩になった)話などもあるらしい。

 気味悪がられるため、食肉を解体作業をする場所も、その土地を貸してくれる地主もなかった。横浜で解体したものを、都心に(冷蔵庫も自動車もなかった時代に)人間が担いで移動することもあったという。よく食中毒が起こらなかったものだ。起こっていたのかもしれないが…。

 本書は、最初に牛肉の流通や、おもに鍋としての食べ方の発展、つづいて日本らしい和洋折衷の「あんパン」、そして著者によれば日本人にとっての三大洋食のひとつ「とんかつ」(それ以外はカレーライスとコロッケ)について語り、最後に洋食文化について語って終わる。

 ポークカツレツから、箸を使った食べ方にふさわしい進化を遂げた「とんかつ」。刻み生キャベツと独特のソース、さくさくのパン粉と肉のハーモニー。

 これを読み終わると、とんかつが食べたくなる。

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02月 07日 2016

ミラノ 朝のバールで - 宮本 映子

Author: mikimarche Category: 5. エッセイ

 十歳の誕生日に姉から贈られたイタリアの写真集。少女は毎日それを眺めては、一方通行であることを承知で、あこがれの著者に日々の出来事を書きつづった。そして一年も過ぎようかというころ、少女のもとに届いた一枚の葉書。そのころから少女の思いは、まっすぐにイタリアに向かっていた。

 本書は、イタリアでのウェイトレス募集を知り若くして日本を飛び出した女性のエッセイ集だ。現地男性との運命の出会いと結婚、そしして二児を出産し、現在もイタリアのミラノに暮らす著者。飾らない人柄と自然体の文章、そしてみずみずしい感性が、いたるところにあふれる。



 冒頭の「父の言葉」において、わたしはすでに、心をぐいとわしづかみにされた。あとは夢中でページを繰った。

 小学四年生のとき「箸のそんな端っこを持って食べる映子は、たぶん遠くへお嫁に行くんじゃろう」と、父親に声をかけられたそうだ。そんなことが現実にならないようにと心から祈りつつも、気づくと箸の端っこを握っている自分がいた。そして海を渡ってミラノに暮らす現在も、たまに食べる和食で同じことに気づく。だが父母のもとを離れても、とても平凡な気持ちで日々を送っている、そういう文章だった。

 産後のうつや、幼いころからの持病など、けして順風満帆だったわけではない異国での暮らし。だが子供たちや周囲の人々、夫の家族など、多くの人に囲まれた暮らしの描写にはつねに明るさがある。読んでいる側であるわたしにも、太陽が降り注いでいるような感覚と風を感じた。

 あとがきで正式に明かされるが、冒頭で紹介された写真家N氏とは、西川治氏である。

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02月 07日 2016

ジェイン・オースティン料理読本 - マギー・ブラック/ディアドレ ル・フェイ著、中尾 真理 訳

 ジェイン・オースティンの親戚であり、家族同然に親しくしていたマーサ・ロイドの手書きメモを元に構成した料理読本。冒頭の約50ページにおいて時代背景や当時の社交に関する話、オースティンの作品世界との絡みを解説し、つづく約100ページが現代風(そして日本語の読み手向け)にアレンジされた料理レシピとなっている。

 ノートは料理のみでなく家事(民間治療薬や化粧品、家政に関すること)についても書かれ、傷みが激しいので判読すらできなかったものもあるようだ。



 この本では、ロイド夫人のもの以外にも、一家の友人であるリッブ・ポウイズ夫人によるものや、当時の書物からのレシピが含まれていて、各レシピの最後に書かれている記号で出典を判別できる。ロイド夫人のメモは特別なときの食べ物が記されていることが多く、日常的なものは省かれているため、イギリス料理の全体像を残すために著者らはそうした構成を選んだようだ。

 さて、レシピであるが:

 原著者のマギー・ブラック、ディアドレ・ル・フェイ、そして訳者である中尾真理の各氏は、最近の人も料理を作って楽しめるようにといった点に腐心している。まず原文のまま文章スタイルの料理法を載せたあとで、現在の分量や食材(たとえば現代人にもわかりやすい類似品)を、読みやすいレシピスタイルで紹介している。日本語にいたっては、日本人がわかりやすいメトリック法(グラムやccなど)でのみ記載されている。

 この文章スタイルのレシピを見ていると、つづく現代風レシピ部分がいかに想像力を駆使したものか、頭が下がる。たとえばP.108のアップルパフ。当時のオーブンといえば暖房と調理器具兼用だったかもしれず、もちろん原文に温度などは書かれていない。"パイ生地に包んで、短時間で焼けるオーブンで焼きます"――これだけだ。著者らは現代の人がそれを再現できるよう、温度からサイズまで、きちんと整理してくれている。

 ひとつだけ難をあげるなら、訳語で「上白糖」。これは日本にしかない砂糖なので、これを見るたびに訳者さんの存在が頭をよぎり、一気に現実にもどされた。レシピには「砂糖」とするだけでよかったように感じた。

 それと関連して、大部分は上白糖だったものの、P.138などで「白砂糖」があったのだが、これは上白糖なのか違うのか、微妙に気になってしまった。

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