9月 20日 2016

アンデルセン物語 食卓に志を運ぶ「パン屋」の誇り - 一志治夫

 紙のメディアは、やはりいいと思うことがある。この本を何気なく購入したのが2年前の10月。それ以来ずっと部屋に積んでいて、表紙もずっと見ていたが、「そういえば読んでいなかったような」と、ページをめくりはじめたところ、1時間半で読み終えてしまった。わくわくする体験だった。



 広島アンデルセン創業者夫婦の数十年にわたる物語であり、終戦間近に外地から日本国内に初めて足を踏み入れた少女(妻の彬子氏)と、外地での終戦で情報将校として追及されたところを患ったなどの理由により運よく帰国ができた青年(夫の俊介氏)が広島で出会い結婚、戦後の食糧難に代用食の団子を売って日々をどうにか生きた時代の話からはじまる。
 身を粉にして働いた日々、そして、立派な自社店舗もなかったが取り扱いの代理店になってくれと近辺の店に頼みこんで知名度を上げていったこと。評判が立ってくると次のことを考え、つねに現状に甘んじなかった。売れるであろう商品ではなく将来ずっと売っていきたい商品を考えつづけた60年代以降の過渡期、そして東京オリンピックから数年後の青山への出店。

 青山一丁目の駅近くに、青山アンデルセンはある。わたしは本書を読むまで、あまり青山と広島に関連性を見いだしていなかった。だが、文中に引用されている青山に長く暮らした作家でありシャンソン歌手戸川昌子さんのエッセイにより、ふと、気づいた。
 広島アンデルセンが最初に立派な本店を構えたのは被災した洋風建築「帝国銀行広島支店」であり本書中に写真が紹介されているが、終戦時の周辺はがれきだらけで、かろうじて建っているのはそれのみだと言える惨状。そして青山もまた、多くの東京人がまったく知らずに歩いているだろうが、大通りの両端に死体がうずたかく積まれたほど激しい戦火に耐えた土地なのだ。東京オリンピックののちとはいえ、青山の中でも人通りが少ない場所が現在の青山アンデルセンの場所だったという。現在は一等地だ。周辺も何もかも開発され、多くの人が歩く。きらびやかでハイソなその都会の雰囲気には、一度は徹底的に壊れた、そこから這い上がったという、広島に通じるものがあるのではないかと思う。
 もっとも、日本の都市部の多くがそうした「徹底的に壊れた」経験を持つものであり、一概に比較されるべきものではないかもしれない。だがわたしは、青山アンデルセンのあの立地に、今後はもう少し深い思いをいだくことになるかもしれないと、漠然と思う。

 2000名以上の社員や、さらに多くのパート従業員などを含む大会社と成長したアンデルセンは、2000年代に俊介氏が死去ののちは持ち株会社に移行となって分割された。
 家族のように、身内のように社員を教育し、会社の理念の共有を図ってきた彬子氏にしてみれば、分社化で理念が揺らぐことや、各店の雰囲気がおかしくならないかと心配に思うこともおありかと思うが、パン文化やパン業界への情報発信を、これからもぜひ、精力的にこなしていただけたらありがたいと思う。


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